楽なとき、苦しいとき。
それは、どちらかが連続するときもあれば、
波のように交互にやってくるときもある。
17歳で、今のように闘病生活を送っていた時、
僕はどん底にいた。負のループを彷徨っていた。
そして、今、僕はどちらかというと、
苦しい時と向き合う日々を送っている。
先週と比べると、僕の生活には大きな変化がある。
まず、食事量が増えた。
術後しばらくは、この栄養剤を鼻から入れていた。
最初は、200mlずつ、それが400mlずつに増えた。
こんな具合いで、胃に入るのは、全部水みたいなものだから、
下痢が止まらず、下着を何枚かダメにした。
5月7日(火)に、経鼻栄養が終わり、流動食に変わった。
重湯、汁物、牛乳の3点セット。
汁物は、朝は味噌汁、昼はすまし汁、夜はなんらかのスープ。
流動食だから、どれもこれも具はない。味も極度に薄い。
それでも、初めての流動食で、味噌汁を飲んだ時、
「うめぇー!」と、思わず僕は唸った。
僕は舌が肥えていないから、基本的になにを食べても美味しいけど、
それでも、具のない、味気のない、この味噌汁が本当に美味しかった。
この日は、入院後、初めての外出をした。
処置の関係で他の病院に行くことになった。
タクシーで向かう道中、景色をまじまじと見た。
街路樹も、空も見えるすべてが、どれも新鮮だった。
他院での処置は、6時間に及ぶ長期戦で、
途中、熱が上がり、意識が朦朧としてきた。
結局、処置は次の日に持ち越しとなった。
2日目は、3時間近くの時間を要したけど、
意識が飛ぶようなことはなく、この日は無事に帰れた。
5月9日(木)、割りとキツ目の処置が予定されていた。
骨を固定するためのスクリュー(ネジ)を、
局所麻酔で打ち込むというものだった。
いつ呼ばれるのかと、僕がドキドキしていると、
夕方、津村先生が「今日はやらないって。」と伝えに来た。
張り詰めていた緊張の糸が切れて、少し眠った。
すると、今度は金先生が「スクリュー入れます」と呼びに来た。
「おいおい、マジか・・・」
僕はそれなりに動揺した。
局所麻酔を何箇所も打って、処置が始まった。
麻酔が効いているとはいえ、それなりに痛かった。
かといって、あーだこーだ痛がるのは男らしくない。
ましてや、目の前に津村先生のような綺麗な女性がいるのに、
情けない姿は見せられないと、僕はただただ我慢した。
そうして、僕の身体に8本のスクリューが打ち込まれた。
問題は、処置が終わった後だった。
麻酔が切れ始めて、痛みに耐えられなくなってきた。
内服の痛み止め、ボルタレン(座薬)をもってしても、
痛みは収まることなく、僕は痛みを堪えるために、
ベッド柵をずっと握りしめていた。
その晩、眠剤を使って、なんとか眠ることができたけど、
痛みは朝になっても収まることなく、それは今も変わらない。
痛みだけじゃない。
オペ後ずっと、相変わらず、熱は下がっていない。
まだ、麻痺はなくならないし、話すのもままならない。
適度な間隔を空けてボルタレンを使い、
寝る前には眠剤を使って強制的に眠る。
そんな生活が続いている。
「今が一番苦しい時期。もうひと踏ん張りです。」
金先生が言ってくれた一言は、
僕の心の苦痛を少し取り除いてくれた。
まだ退院の目処は立っていない。
それでも、確実によくはなっている。と思う。
体調がいいときは、病棟の空きスペースに移って、
できるだけ、自分のできることをやるようにしている。
文章を書いたり、書類に目を通したり、プロジェクトの進捗を確認したり。
「垣内さんのリハビリには「仕事」が一番効くに違いない!」
パートナー企業の金子さんがくれた一言だ。
今日、主治医の浅井先生に頼んで外出許可をもらった。
来週は、一件だけ仕事に行く。どこまでできるかわからない
でも、こうやって挑戦し続けるしかない。
今は、苦しい。今は、底にいる。
寝転がっているだけじゃ、事態は変わらない。
僕は、ただ這い上がるしかない。