入院して30日。今日でほぼ1ヶ月が経った。
体重は、いよいよ6kgも落ちて、元々細かった足はさらに細くなった。
当初、5月末だった退院の予定は、やっぱり延期になった。
この1、2週間、痛いこととか、不安になることとか、
やっぱりいろいろあって、体を動かしてないのに、
毎日ドッと疲れている感覚に襲われていた。
相変わらず、流動食しか食べられない毎日で、
美味しくて感動していた具なし味噌汁も少し飽きてきた。
最近は、食事というより、口に流しこむ作業になってきている。
夕食のスープは、栄養食として、セルティというスープがでる。
これが日によって、コーン、かぼちゃ、じゃがいもと味が違う。
どれも不味いわけでもなければ、美味しいわけでもない。
コーンが連続する日もあれば、かぼちゃが突然でてきたりするから、
これは給食の人たちがテキトーにお盆に乗せているんだろうなと確信している。
術中の出血により、800mlの自己輸血を行ったにも関わらず、
それでも出血量が著しかった僕は、未だに貧血状態にある。
WBC、RBC、HGB、HCT、MCH、MCHC、、、
最初は、全部意味がわからなかったけど、ビビリの僕は勉強した。
とにかくいろな値が低くて、一向に改善されないことに焦っている。
そこで、毎日の重湯や具なし味噌汁にはどれだけの栄養があるのか?
コーン、かぼちゃ、じゃがいもには、どれだけの違いがあるのか?
そんなことを考えるようになった。そして、とことん調べた。
セルティは、じゃがいもが一番、栄養価が高いことがわかった。
そうすると、僕はじゃがいもが来ると少し嬉しくなって、
コーンやかぼちゃが来ると少し悲しくなったりした。
治療についても、あれやこれやと問題がでてきて、
体のことや治療についても、僕はとことん調べた。
結構な数の医学論文を読み込んだけど、読めば読むほど、
「こんな浅はかな知識でよく手術を決めたな。。。」と焦燥感にかられた。
何事も下準備や学ぶことが大切だともちろん理解している。
どんな小さなことでもできる限りの努力が必要なことも。
だからこそ、いつの間にか僕は、一食の食事、一回の処置、
寝る時の姿勢や湯船に浸かる時間、ストレッチの方法、
あらゆることに、過剰なくらい気を張るようになった。
ただでさえ、退院は伸びた。僕の心は、焦りと不安で埋め尽くされていた。
そんな時だった。
無理して、仕事のために早く治そうとか考えてたらあかんにぃー(^^)
(中略)
いろんな不安で焦ってそうやから、そこは病院で休むところで、
体を治すところって忘れてるんやないかなぁーって思って(^^)
昔の恋人からもらった一言で、スーっと気が楽になった。
そして、極めつけだったのが、伊坂幸太郎の小説の一節。
楽観とは、真の精神的勇気だ
アーネスト・シャクルトンという探検家が述べた一言らしい。
偶然読んでていた小説にも、僕は救われた。
じゃがいもなのか、かぼちゃなのか、コーンなのか。
僕は、夕食のセルティの味を気にしなくなった。
同じ味が3日も連続すると、さすがに飽きるけど(笑)
日々の栄養管理も、処置も、治療も、もちろん全力で向き合う。
それで、全力で向き合ったなら、あとはドーンとしていようと、
今ではそんな具合いに、少しリラックスできている。
「言葉には、感情や体に多大な影響を与える力がある。」
前に読んだ、言語学の書籍に書いてあった。
闘病生活を通して、僕の中での「言葉」の意義が深くなった。