去年の秋ごろから、ずっと電球が切れていた。
廊下も、脱衣所も。
車いすではもちろん、なんとか立ったとしても、
まるで届かなかった。
年末にまとめた2014年やることリストには、
「電球を変える」が真っ先に挙げられた。
そして、自分の力で変えるために、脚立を買った。
掴む部分があって、踏み台も広めの安全な脚立。
そして、電球を変えた。満身創痍を尽くして。
達成感がハンパじゃなかった。
でも、そのすぐ後に、両手で喜べない事態が起きた。
ワット数の違いか、電球が明るくなるのにえらく時間が掛かる。
点けた直後、それは薄気味悪い明るさで、
廊下も、脱衣所も陰湿な雰囲気になってしまった。
そんな電球を見ていると、ふと、実家を思い出してきた。
いつしか、おやじが買ってきた電球が省エネを謳ったもので、
今、ウチにあるそれと同じで、明るくなるのに時間が掛かった。
タカと2人で、ケチくさいとか、気味が悪いとか、イライラするとか、
思い思いに不満を言ったものの、オヤジは買い替えようとはせず、
結局、エコだけに消耗も緩やかなのか、長い付き合いになった。
いつしかそれに愛着も湧いたし、現に、今、それを覚えている。
あんなこともあったなぁと、楽しい思い出として。
最初から最後まで明るなくたっていい。“普通”じゃなくていい。
ありきたりなものじゃないからこそ、心に残るものもある。
今日もそんなことを言い聞かせながら、
電球がじわじわ明るくなるのを待つ。