いつか小学校の作文のように感じるまで

「バリアバリュー」を出版して、あっという間に、1ヶ月以上が経つ。書いてよかった!など、と言えるほど、時間が経ったわけではない。少しだけ出版に至るまでのこと、心境の変化を書き残そうと思う。

「バリアバリュー」という言葉を、本格的に使うようになったのは、19、20歳の下積み時代でもなければ、ミライロを立ち上げた時のことでもない。
公の場で、この言葉を口にするようになったのは、ほんの数年前からだ。コレといった、きっかけがあったわけじゃない。ただ、少しずつ少しずつ、自信がついた。
歩けないこと、車いすに乗っていること、そうやって今日までを歩んできたことを、少しだけ、ほんの少しだけ、この数年で誇らしく思えるようになった。

数えると去年は、約130回、日本や海外で講演をする機会があった。3年前の心肺停止を経て、心境や仕事ぶりは、大きく変わった。ずっと伝えていけるわけではないと知ったからこそ、一回一回、魂を込めて話した。
少しずつ無理がたたって、いよいよ年末から、毎週のように通院するようになった。

「なにも成し遂げたわけじゃない」「納得できる大きな結果もない」

そんな思いから敬遠していた出版も、自分の思いや考えを、伝え続けることが難しいという、喫緊の理由から覚悟が決まった。
悩んで、悩んで書き切ったものの、出版直前は夜な夜なうなされた。

「この言葉に責任を持てているのか」「本当に出していいのか」

生みの苦しみとでもいうのか、いよいよ怖くなって、ふと弱音を吐いた。
かかりつけの歯医者さんで…

「読み返せば読み返すほど、ダメな文章に見えてくる。直前なのに、出していいのかなって、不安なんですよね。」

聞いてもらったのは、歯科衛生士の岡本さんだった。8年くらいお世話になっていて、同世代ということもあって、サラッと話せた。
少し考えて、岡本さんはこう言ってくれた。

「大丈夫。きっと、大丈夫ですよ。
次元が違うかもしれないけど、大人になってから、小学校の時の作文見たら、なんか恥ずかしいじゃないですか?なにを書いたって、あとから見たら、恥ずかしいんですよ。
今、書けるものは書いたんでしょ?垣内くんは、まだまだこれから。次、次!」

 

最善を尽くした上で、次の高みを目指す

 

そんな新しい気づきをもらった。不安が吹き飛ぶようだった。
出版してからというもの、お世話になった方々だけでなく、まだお会いしていない人も含め、メールや手紙をたくさんもらった。紡いだ言葉が、多くの人の心に届いたことが嬉しかった。
いつしか、「あー、こんなこと書いてたなぁ」なんて、目を伏せたくなるような日が来るかもしれない。いや、むしろ、そうした日を迎えられるように、自分をもっと高めていかなければいけないのだと思う。

 

バリアバリュー(新潮社)

 


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