何回目か忘れたけど、病院という学校を卒業する

今日までを振り返れば、小学校や中学校の時は入院しがちだった。

高校はリハビリのために辞めてしまって、1年しか行かなかった。

おかげで、遠足や修学旅行に行けなかったりと思い出は減ったし、

勉強でいえば、今でも数ⅡBと物理はサッパリわからない。

勉強で使ったノートより、病院で書いた日記の方がよっぽど多い。

もっと学校に行きたかったなーと、今でも時々思い返すことがある。

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今回、僕が入院している病棟には、多くのガン患者の方がいる。

 

サキヤマさんは喋るのが大好きなおじいさんで、9割方、僕は聞き役。

今日まで自分のことをほとんど話したことがない(笑)

サキヤマさんは、すい臓ガンが見つかって手術を控えていた。

亡くなった奥さんとお遍路に行くのが習慣だったらしく、

「早く元気になって、女房の骨を担いでお遍路に行きたい」と言っていた。

 

昨日の夜。面会室で作業をしていると、中年の男性が部屋に駆けこんできた。

急いで携帯電話を開いて、誰かに連絡をしようとしている様子だった。

「抗がん剤で大丈夫だって。生きてていいってのは、ドラマチックやね。

 ストレスはよくないらしいから、これからはお手柔らかに頼むよ。」

奥さんへ電話をしているようで、胸がじんわり温かくなる会話だった。

 

生死の境で家族を想うサキヤマさん、家族と生きる喜びを分かち合う男性。

そうした人たちを目の当たりにして、同時に今回の入院で自分も死にかけて、

僕は、生きるとか死ぬとか人生とか、改めて考えるきっかけになった。

 

そんな今日この頃、僕自身は入院して、かれこれ1ヶ月半が経った。

病棟ではすっかり古株で、教授回診の時間、シーツの交換や体重計測の曜日、

男女で曜日ごとに変わる浴室の場所・・・病棟の大凡のことは理解している。

患者さんや看護師さん、担当でない先生たちとも仲良くなって、

病院生活がすっかり馴染んだというか、それなりに居心地がいい。

 

術後の呼吸停止から大きな後遺症は残っていなくて、

強いて言えば、左のほっぺたの感覚は無くなったくらいだ。

「キスしてもらうなら右に限るね」なんて会話を何度かしたように、

ほっぺたの感覚がなくたって、大した不便はないから気にしてない。

 

話し方にぎこちなさは残るけど、術後と比べれば圧倒的に流暢になったし、

給湯室や廊下で無駄話をしていると、声が大きいと看護師さんによく怒られる。

こんな喋り方なのに怒られるなんて、よっぽどの声量なんだなーと笑った。

 

固形食も食べれるようになったけど、食材によっては噛み切れないものが

まだたくさんあって、6割くらいを食べたら合格としている。

最近は、院内のローソンで、プリンとか柔らかいおやつを買い食いする

ようになって、一時期は7キロも減っていた体重が挽回しつつある。

 

今日の午前中、今回の入院における、痛みを伴う処置が全部終わった。

僕は局所麻酔を打たれ横たわっていた。金先生の恋愛事情を聞きながら(笑)

ずいぶん愉快なラスト麻酔だったなーと、感慨ひとしおものだ。

 

その後、部屋で昼食を食べていると、廊下でサキヤマさんの声がした。

急いで口の中のものを水で流し込んで病室を出た。

「手術、12時間半かかったんだよー」と笑顔で話してくれた。

手術は無事成功し、今日から歩いているそうだ。退院も近いらしい。

術後、ICUにいるのか、個室にいるのか、手術が成功したのかすらも

知らなかったから、ホッとしたと同時にジーンとなった数分だった。

 

僕は、土曜に退院する。まだまだ課題は多いけど、一つ一つ登っていきたい。

大切な人や仲間を想い、生きる喜びを噛み締めながら、生きていきたい。

 

僕の人生において、今回の入院は20数回目、手術は10数回目、

今となっては細かい回数はわからないし、さしたることではない。

ただ、今回も、病院という場で数えきれない学びを得たことは間違いなく、

僕にとっては、病院が学校だったんだなと、なんだか晴れ晴れとしている。


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